フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

個人的な体験の中での探究

昨日1月2日(土)から、フェルデンクライスの講習(FPTP京都=Feldenkrais Profesional Training Program)が始まりました。4年にわたるトレーニング・コースの3年目最終学期です。


学期の初日を毎回ワクワクドキドキしながら迎えます。
先生方・コース仲間との再会にワクワクし、講義やレッスン・仲間との会話を通して
  ・何に気付きを得るか
  ・自分の中に何を見つけるか
  ・何が変わっていくか
にドキドキします。
特に初日は、張り切っているからか、久しぶりの講習に脳が新鮮さを感じているのか、気付くこと得られるものが多く、「この学期も大丈夫♪」とわけもなく嬉しくなります。

自己発見のプロセス

昨日のグループレッスンでは、自分の身体・自分の感覚を通して気づくしかないことを、改めて思いました。他人の動きや感覚を真似たり、比べたり、追いかけることには意味がない。真似をしたところで、自分のものになりません。


自分のものにするには、自分自身で発見するしかありません。自分の身体を通して感じ、探究し、考え、試して、気づき、行動するしか自分のものにならないようです。


フェルデンクライスのレッスンは「自己発見のプロセス」とも言われます。ですから
  ・上手くしようとする
  ・達成しようとする
こととは無縁なのです。(この重要なポイントをすぐに忘れて、「指示通りに」「なめらかに」「大きく」動こうとする私が相変わらずいます)

自分の個人的な体験の中で探究しているだけ


体験を元に実験しているだけ

だから、自分の内側深くに「潜れた」時、奥深くにある安心と落ち着きを得る(気づく)ことが出来ます。そして、それは極めて個人的なものでしかなく、自分にしか価値のないものなのです。