フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「大人型のかぶり物」もなし

フェルデンクライスのレッスンを受けると、「変わった」つもりでいても「変わっていない」自分を見つけてガッカリします。
  ・根本の自分
  ・強力な自分
  ・素の自分


小さい子供の頃、周りの言葉や反応して行動していたのと同じことを大人の今も繰り返していることに気づきます。
「変わった」(かもしれない)と感じているのは、成長する過程、社会にいる過程で身に付けた癖や習慣の部分(一部分)であって、“根本”は変わっていないし、そう簡単に変わりそうもない。


レッスンやコース生仲間との会話、日常生活の場面で見え隠れするのは、「癖」「習慣」の林の中をウロウロしている「小さな自分」です。


初日(フェルデンクライスのトレーニングコースの初日)のグループレッスンで何かのスイッチがONになったらしく、ずいぶんと子供っぽい私になっています。先生方のお話の目的や意図も、レッスンや練習の意図も探れない探ろうとしないまま、保育園児が大人の講習に参加しているような気分です。論理的な部分がすっかり抜けて
しまっています。いろいろ感じているけれど、大人脳で考えていない。なんだか変な感じですが、悪くありません。子供の私が大人の形をした私を操作しているというより、もはや「大人のかぶり物」すら着けていない、子供そのものが表に出ている、そんな感じかもしれません。


変なのぉ・・・(^O^)