フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

慣れたその先

「私のブログどう思う?」
「どこをどうしたら良くなるかな?」
「作文が苦手で、どう書けばいいか分からない…」
と、友人にアドバイスを求めました。
文章を書くことが嫌いでなく、色やデザインにもこだわりを持ち
それらを表すことができる友人です。


後日、その友人からメールが届きました。

文章書くのって難しいですね…

読書してるからって作文書ける訳でなく…
音楽鑑賞好きだからといって作曲できる訳はなく…
映画好きだからといって監督できる訳はなく…

批評するのでなく、自分がブログを書く立場だとしたら…
と考えてくれたようです。


友人から具体的なアドバイスはなく
「Reikoさんが書きたいと思うことを、
書きたいように、
とにかく数を書くのが一番大切だと思う」


数をこなす=時間をかけることなしに
効率よく手間かけず、よく考えず
見た目や雰囲気を良くしようとしていた
私の姿勢を見透かすようなメールでした。

「こなす」が目的?

フェルデンクライスのグループレッスン指導でも
「とにかく数をこなせ」「慣れろ」と言われます。
で、ふと思うこと。慣れるだけなら
レッスン回数を「こなす・増やす」でいいだろうけれど
私がしたいことは“それ”なのか?


これまでのやり方でいくと、私の場合
「慣れた結果、スピーディにこなせるようになる」だけになりそうです。
これは私の“癖(習慣)”です。
スピーディに片付けられるようになった結果「生まれた時間」を使って
別のことをまたスピーディにこなすのか?
いつもバタバタ、さらにバタバタし続けたいのか?


「手足・頭を素早く動かす」スピーディさ
ではないものを身に付けたいはずです。


効率良く、素早く
から離れるには、まだまだ時間がかかりそうです。

書いていて気がついたコト

私は小さい頃から、要領が悪く(今も悪い)
色々な動作に慣れることに
人(周りのお友達)より時間がかかっていました。
お友達が出来ていること(動き)が、私はなかなかできません。
だから、先ず「慣れ」て動きを習得することを目標(目的)とする癖が
あるのかもしれません。
(原因・理由の「後付け」はどうとでもできます)