フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

それはしんどいはずだ〜失敗の定義

一昨日、フェルデンクライス的に身体を観察しながら歩いていて突然
もっとドンドンこまめに失敗いたらいいんだ〜♪
と思いつきました。


どうしてこんなことを突然思ったのか?
失敗しないと学ばないなぁ〜…
失敗するから学ぶのかぁ〜…
とブツブツ考えていたからですね。


失敗を怖がる(失敗を嫌がる)私にすれば一大変換の発想です。
失敗するのがイヤで、なんでも用意周到に細かくやってきて
挙句にくたびれて・・・を繰り返してきました。
そんな私ですから「失敗=悪」です。


でも、少し気づき始めているのかもしれません。
たとえ失敗しても、その原因をきちんと見て
次に生かせたら別に「悪」「無駄」じゃないやん♪ と

「失敗」のイミ

ところで「失敗」ってどういう意味だろう?と調べてびっくり。

失敗
やってみたが、うまくいかないこと。
広辞苑より)

「な〜んだ」です。
硬〜い硬い頭の私にとって失敗は「ゼロか百か」のこと。
(典型的な「白黒型」です…)
「うまくいかない」であって「ゼロ」じゃないんですね。
100点満点じゃないけれど
70や80、90点とっているんだからいいわけです。
(場合によっては、100点じゃないと「ゼロ」となることもたくさんありますが)

自分の解釈が自分の行動を形づくる

失敗や成功を自分の中でどう定義しているかで
随分と物の見方や考え方、もちろん行動に影響するし
楽に生きられるかどうかにも関わってきます。


手を抜かずに取り組んで
それでも上手くいかなかったことも全部「失敗」とみなすのか?
自分の解釈次第なんですね。何事も。


一つ二つの物差しでしか「失敗」を定義していなかった自分に
この歳になって気づいてビックリです。
そりゃあ、しんどいわ。