フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

ルーシーさんは精進料理

昨日(2010年3月15日)が初日のルーシー・アローンさんの“Bones for Life”講習会。中身が濃密だったせいでしょう、私の脳内温度は下がらず、熱を帯びたままです。

ピース集めからもう一歩進める

私は2005年にルーシーさんが来日された時に受講しています。
それから今回の講習までの5年間に、
  ・フェルデンクライスを本格的に学ぶ
  ・グループレッスンを開く
といったことが加わったからかもしれません。

ルーシーさんのお話が、身体や脳なあちこちに染み込んでいくのを感じます。

ジグソーパズルのピースを集めることから始まって(2005年)
その一片どうしがはまり、少し大きな一片になり
図柄のほんの一部が見える(2010年の今回)ような感じです。


彼女のお話を聞いていると
時々、私の内側で「パズルピースが“はまる”音」がします。
その面白さに、一人クスリと笑ったりニヤニヤして“変な参加者”かも。

削ぎ落とされたよう

ルーシーさんの講義は、前回はバターやクリーム、ソースたっぷりの「フランス料理」風でした。それが、今回は
  ・精進料理
  ・山水画
  ・日本庭園
のようです。削ぎ落とされた、無駄のない、素材を生かした
そして手間と工夫がなされている印象を受けます。
また、目に見えない隠れた情報はたくさんあるのに
表にあらわれているものはシンプルという感じもします。
(一見シンプルだけれど、実は複雑)


そして「余白」があるから、聞き手は考えることが可能になります。
また、イメージも広がります。
(だから、「隙間を埋めたがる」脳の性質が前面に出てきて、私の脳内は大忙し)

どちらを取る?

  入り口は広くなく、
  どうやら楽しそうで面白そうだし、
  それに簡単で取っ付きやすい
  けれど、その奥の広がりはとんでもなく、
  ・・・
何度も「見なかったことにしよう」と思います。
でも、自分が感じた「おもしろさ」をもっと味わいたい、追いかけたいなら、
 どこまで続くか、
 どこまで広がっているのか、
 果てがあるのか
全く分からない世界に足を踏み入れ、歩みを進めるしかありません。


「おもしろさ」は原動力になります。