My Greenhouse
若かった両親が私を育てる時に
それを強く意識していたのかどうか分からないけれど、
今いろいろなことを学び直している中で
「ありがたいな」と気づくことがあります。
私に対して
・周りの誰かと比較しなかった
・何かを強制しなかった
・(私の)好奇心を否定しなかった
・ダブル・スタンダードを設けなかった
ことがそれです。
家の外や学校・社会では
「比較」「評価」「強制」「二重基準」は当り前に存在しています。
でも、それらを生まれた時から当り前のように提示され続けることと
私自身が感じて見つけていくこととは違います。
一番身近にいる両親が私に向けて
直接的にも間接的にも発してこなかったことで
私のGreenhouseを作ってもらっていたようです。
温室とは一味ちがう♪
Greenhouseといっても、寒くないように灯油で温めたり
害虫が寄り付かないようにビニルシートで覆ったり
してあるわけではありません。
原始林のようなGreenhouseといったらいいかもしれません。
ですから、ある意味で効率が悪い。時間がかかります。
時間が足りないかも
子どもの頃から、自分のことを
好奇心をもって張り切って取り組む割には
『(物事の)のみこみが遅い』
『コツをつかむのが遅い』人間
だと感じていて、「なんだかよく分からないけれど、
まあ、こんなものだろう」と納得していました。
それが自分のスピードなんだと。
周りにいる同年齢のお友だち、同学年のクラスメート、同期入社の同僚etc
見てみると、私は1〜2週間、3〜6ヶ月、2〜3年単位で「遅い」。
遅くても割と平気でいられたのもGreenhouse効果かもしれません。
フェルデンクライス・メソッドを学んでいる今
人生という単位でみても私は「気づきがのんびりしている」
「のみこみが遅い」ことに気づき始めていて、苦笑いしています。
(気づき学ぶ前に寿命が尽きてしまう…)
ともかく、両親が基礎を作ってくれたGreenhouseを
自分で手入れしながら進んでいきましょう。
私にはGreenhouseがあるんだ(Greenhouseにいるんだ)
という発見と実感を得られたことは、本当に嬉しいです。
基礎を作ってくれた両親
これまで私とかかわりのあった方々
今私の周りでいろいろな形で関係してくださる方々
に感謝。