フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

内側の引っ掛かりに気づく〜わからなさ感

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絵心とデザイン

毎月1・15日の発行です。その最新号にあった
【デザイン相談室】の記事を読んで、フッと身体が軽くなりました。

少し長いですが、引用します。
(アトリエ・カプリスさんの許可を得ています)

【デザイン相談室】………「絵心がないけどデザインできる?」
Q
私は絵が下手です。そんな私にもデザインはできるのでしょうか?
(学生・Nさん)

  1. ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

A
これも非常によくある質問なのですが、
結論からいうと、絵心がなくても、できます。

まず、意外に思うかもしれませんが、
グラフィック・デザインは、図工や美術の延長ではありません。
どちらかと言うと、国語や社会科の仲間です。
社会科は、世の中の動きや、人の考え方を知るのに必要な知識です。
国語は、事実や考えを伝えたり、受け取ったりする力が養われます。

一方、グラフィック・デザインは、
「誰に(社会科)、どうやって伝えるか(国語)」が目的なので、
ほら、まさに社会科と国語でしょ?
その「どうやって伝えるか?」の方法の一つとして、絵があるんです。

どうしても言葉で伝えにくい「こんな感じ…」みたいなものを、
みんなが共感できる「絵」で表現するんですね。
ですから、必ずしも「絵」は描けなくても大丈夫。
だって今は、イラストも写真も、自由に使えるデータだってあるのですから。

しかし、自在に文字を扱えるのと同じ感覚で、
「絵」を選ぶ眼は養っておいた方がいいでしょう。

デザインの評価は「誰が上手な絵を描くか」ではなくて、
「誰が、コミュニケーションのための表現をうまくできるか」です。
絵が描けない時は、
「詩的表現」や「図解」、「ロジカルシンキング」などを駆使して、
どうやればうまく分かりやすく伝わるかを意識して、作ってみてください。
(エゴコロサロン@MAIL 第12号より)

質問者と同じ疑問を
私は子どもの頃(小学校入学以降)からずっと抱いています。
かといって、別にデザインを特にしたいわけでもありません。
デザインに興味を持っていて
絵を上手に描けたらいいのにな〜と思い続けています。


記事中の
グラフィック・デザインは、図工や美術の延長ではありません
どちらかと言うと、国語や社会科の仲間です
に「な〜んだ、そうか♪」となり、身体が軽くなったのです。
別に国語も社会も得意ではありませんが、図画工作よりはまだましです。

好きと得意は別

アレレ?
ここまで書いてきて、気が付きました。
テストや表現が「マシ」なのは、国語・社会>図画工作 だけれど
私は、国語や社会よりも図画工作の方が好きだったんだ…と。
好きだけれども【得意じゃない】というややこしさがあります。
(「マシ」と「好き」「できる」はみんな別物なのですね)


相手にとにかく伝えたいけれど、国語力も図画工作力も足りないから
 ・イラストや図を入れてみたり
 ・文字を工夫したり
 ・レイアウトを工夫したり
 ・言葉を選んだり
 ・色を使ったり
 ・etc…
を子どもの頃からしてきたんだな、と今思い至りました。


「絵心がない」「絵がヘタ」と思ってきたことで
ずいぶん自分の心の足を縛っていたようです。
でも、描きたい・描いてみたいのに
「(どうすればいいか)ぜんぜんわかんない」というわからなさ感は
大きな引っ掛かりとなって私の中にあるようです。



メルマガの記事を読んで

絵は上手くなくったって
別に絵を描いたりデザインしたりしてもいいんだ〜♪

と思えたことは嬉しいです。