フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

足だけ映されても…踊りは全身を見たい

昨日、偶然見た番組「たけしアート☆ビート」(本来はNHK BS)。
これまでの放送分をダイジェストでまとめたものを放映していました。


その中に登場したタップダンサーの
セビアン・グローバー(Savion Glover)。


彼が尊敬するタップダンサー達の踊りをたけしの前で再現します。
「セビアン」の姿をした先輩ダンサー達が次々と現れ
彼ら自身のスタイルで踊っている…?と錯覚を覚えるくらい
セビアンが踊り分けていました。(しかも、セビアン風でない)


つづいて、セビアンが大好きなジョン・コルトレーンJohn Coltrane)の
音楽に合わせてタップを踊ります。
コルトレーンの初期の頃の曲と晩年の曲、2曲を踊ります。


最初の曲は楽しい雰囲気のするもの。
セビアンもニコニコと子どものように楽しげに踊ります。
いつまでも見続けていたい、そんな踊りです。


二曲目は、踊りながらどんどん瞑想に入っていくよう。
私の眼は画面のセビアンが踊る様子を追いかけているはずなのに
彼の靴が刻む音とコルトレーンの音を“見ている”ような。
こちらは「いつまでも聞いていたい」踊りでした。


この放送だけでなく、ダンスを扱った番組やCMで残念なことは
ダンサーの全身を映しとおさないこと、角度が切り替わることです。
顔や足元のアップがしょっちゅう入ったり、角度がコロコロ変わる。
セビアンの脛から下を映されても…足首から下をアップされても…ね。


フレッド・アステア(Fred Astaire)は映画のダンスシーンでは
彼の全身を撮影することを求めた、と読んだことがあります。
(※アステアのダンスじゃありませんが、こんな風に)
(※ニコラス・ブラザーズ Nicholas Brothers の踊り)


こんな撮影でのセビアンの踊りを見てみたいものです。