フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

学習は真似じゃない

学習とは、体験を一度抽象化して、他の物事にも適用できるようになることだ。つまり真似というより、いきなり応用問題に入る。
「自分をいかして生きる」西村佳哲ちくま文庫、まえがき010頁より
自分をいかして生きる (ちくま文庫)

私とフェルデンクライス・メソッドの関係は
「体験した」だけで、まだ「学習した」とは言えないな〜。


でもね、「学習」につながる(であろう)道を何となく感じているから
フェルデンクライスのグループレッスンが
   よくわかんない
   ちっとも動けない
   この姿勢もあの姿勢もツライ
でも、続けているのだと思う。


あと、「学習」もフェルデンクライスも
他人を真似ることを求めていないから、続けているのかもしれないな。


子どもの頃から「真似る」がとっても苦手だから…。
(自分の身体に写し取ることができな〜い!のです)
(かといって、応用もできないのですが)


いやいや、単に「できるようになる」「わかるようになる」のが
楽しいから続けているだけかも。


「できない」と「できるようになる」(「できる」)
「わからない」と「わかるようになる」(「わかる」)
この差は大きく、この変化はとっても楽しい。
そして、新しいことや、これまで出来なかったことに対して
「できるようになる」「わかるようになる」を道具のように使えるのも
また面白いから。


フェルデンクライス・メソッドは「身体を動かす」を入口にした「学習」です。
やっほ〜!