気づきを得る場としてのレッスン
ここ数年ぼんやりとだけれども、
心に引っ掛かり、そして考え続けている「場」について。
東京大学の中原淳准教授のブログに気になるタイトルを見つけました。
◆「誰も集まらないコミュニケーションスペース」を考える:「場のある場所」のデザインの話(6月24日付その1)
◆「場づくり」できる人をどのように育てるのか?(6月24日付その2)
フェルデンクライスのレッスンも「場」の一つだと考えています。
「身体をゆっくり動かす場」「身体に意識を向ける場」だけでない
「気づきを得る場」「考える種を得る場」としてのレッスンを
どのように作っていけばいいのか?を考えています。
先日の【お寺でレッスン】で改めて実感したことの一つが
特に、ワークショップ、ファシリテーション、場づくりなど、自分が「実践家のひとり」として実施していることで必要な最大のポイントは、「プロセスに対する敏感なまなざし」「今起こっている出来事に対する洞察」であるように感じます。
その上で必要なのは「プロセスや出来事」に敏感になり、それに忠実に、準備していたものを臨機応変に変えていく力といいましょうか。インプロ(即興)が重要なのです。
(中原淳東京大学准教授ブログより)
(http://www.nakahara-lab.net/blog/2011/06/post_1789.html)
参加者の動きを観察しながら、自分自身の言動も観ている。
緊張していたり、「上手くレッスンしよう」と肩に力が入っていると
「観る」目は曇ってしまいます。
そして、「準備したもの」がなければ、臨機応変に変えていくこともできない。
敏感であるけれど、過敏でない
洞察しているけれど、決めつけない
準備するけれど、臨機応変
レッスンに限らず、曇らない眼と頭・身体を持ちたいと思います。