文面だけじゃない〜ふるまいから気づく
わかったからといって
(文章・作文に)書けるわけではない。
(※お断り:今、手元に本がないので、正確ではないかもしれません)
たとえ「わかったつもり」「わかった〜!」なことでも
なかなか言葉にできない私にとって、
「わかっていないけれど、なんだかモヤモヤする」
「とにかくなんだかヒッカカル」
な内容を人に伝えるのはもっともっと難しい。
面と向かって話しているなら、身ぶり手ぶり表情etcを総動員して
少しは伝えることができるかもしれません。
それが、メールとなったら…。
虫食いメール
「レイコさん、なにを言いたいんだろ?(さっぱりわからない)」で
終わるかもしれない私の「虫食い」メールを
メールを受けとってくださった相手の
想像力や思いやる気持ちから、虫食いそこかしこを埋めて、
そこから私に返事を書いてくださる。
(そして、また私が虫食いメールを送る…)
すると、やりとりしたメールを見た人にとっては
「この人たち、噛みあわないやりとりしてない??」
といった内容であったとしても、
私の中の何かが埋まっていくのです。
立体パズルのピースがはまるように。
文面だけでない
ある方と「往復書簡〜メール編」をしたことで、
人は、その書かれた文章だけから
何かを感じたり考えたりするのではないことを改めて思いました。
メールに、私への具体的なアドバイスや答えが書かれていなくても
メールのやりとりという行為や、メールの文章全体を通した
その人のふるまいから、
長く私の中にあった、言葉にならないモヤモヤやヒッカカリが
ふっと解ける(溶ける)瞬間を体験しました。
(解ける「糸口」が見つかった)