フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「過ぎてる」か「過ぎてない」か

がんばっている人が聞いていたら申し訳ないんですけれど
「がんばらなくていいんじゃないかな」っていう気がするんですね。
がんばったおかげで自分の中に宝物ができたっていう思いは
ないんですよ。僕には。


損したなって。がんばらなきゃ良かったって。
なんか思うんですよね。


確かに僕なりに励んできたところはあるんですけれど
こういうことですかね「励みすぎた」って。


励みすぎた部分、「過ぎたるは…」っていう部分は
失敗しちゃったなって思いますね。


わかんないですもんね、「過ぎてるか」「過ぎてないか」は。
今となって振り返ってわかることなんですが
もうちょっと前に気づきたかったなっていうのがありますね。



あきらめがついたってことを言いましたけれど
がんばればできるっていう思いが
やっぱり若い頃はあるじゃないですか。


がんばっても出来ないんだって、
自分の肉体について感じたときに
それを吹っ切れますよね。
それがすごくいいなって思います。


NHKラジオ深夜便「大人の生き方〜財津和夫」)
(2013年3月3日放送)

財津和夫さんのお話の中の
「がんばったおかげで自分の中に宝物ができたっていう思いは」
の後“間”があきます。
これまでの話しの流れから想像する言葉は「ある」です。ところが…
「ないんですよ。僕には。」


こうした言葉の背景(土台)に「肉体」が関係していることが
その後のお話からうかがえます。

わかんないですもんね、「過ぎてるか」「過ぎてないか」は。
(同上)

これは、私がフェルデンクライスのレッスンを受けていて感じることです。


自分にとって、自分の身体にとって「過ぎている」「過ぎていない」
意外とわからないものです。
自分のことだから分りそうなものだけれど…
実はわかってないし、わかんない。


それでもレッスンを重ねていく中で
「もしかして、もう少しわかるようになるかも」と
感じ始めています。


「がんばらない」じゃなくて
「要らないがんばりを減らす」ことができたら
「過ぎてる」「過ぎていない」の違いに気づくことができたら
もっと楽しくなるかもしれません。


そうしたことを、レッスンを通して考え始めるところが
フェルデンクライス・メソッドのおもしろさです。


NHKラジオ深夜便「大人の生き方〜財津和夫
(2013年3月3日放送)
2013年4月9日までストリーミングで聞くことができます。
http://www.nhk.or.jp/shinyabin/jyoyou.html