フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

鼻唄まじりの楽さで

以前勤めていた会社でのこと。私はいつものように肩に思いっきり力を入れて仕事をしていたのでしょう。隣に座っていた上司が突然「なあ、岸本〜、セナ(FIドライバーのアイルトン・セナのこと)はな、凄いスピードで走ってても鼻唄うたってんねんぞ♪


「???」


当時の私はこの言葉を聞いて「工場の生産状況が怪しいときに、何をのんきなことを言ってるんだ!?」と内心プリプリしながら上司の言葉に「そうなんですか…」とだけ言って中国宛のFaxを書き続けていました。


その言葉から20年近く経った昨日突然、彼が何を言いたかったのか&セナの凄さに気づきます。


フェルデンクライスのグループレッスンATM(Awareness Through Movement)ではよく「息を止めていませんか?」「呼吸に意識を向けて」という声掛けがなされます。動きに無理があったり頑張っていたりすると、自然と呼吸を止めていたり浅くなったりしているからです。呼吸の有無やその内容が動きや動きの質のインディケーターとなるのです。


呼吸の様子を観察しながら、日常動作で私は何をどうしているのかをみてみました。すると…
・キャベツの千切り
・掃除機かける
・洗濯物を物干し竿にかける
・キーボードを打つ
・メールを開く
etc
もうあらゆる場面で息をちょっと止めたり浅くなっていたりするのです。こんな呼吸生活してたら疲れるはずです。動きそのものが楽でないから呼吸に影響が出るという単純なことではなく、慌てている焦っていると息に影響が出ているのです。


ですから、いつもの呼吸ができる程度に動いてみると、主観的にはずいぶんとスローな動作になります。ところが、そのスピードで動くと
・キャベツの千切りがより細くしかも安全
・ミスタイピングが減る
・部屋の中の小さなゴミがよく見える
etc
と結果が変わってくるのです。


ここで、セナの鼻唄を思い出しました。もの凄いスピードで走りながら鼻唄うたっている彼は強いはずです。楽な呼吸をつづけていただろうし、気持ちに変な焦りもなかっただろうと想像します。鼻唄が出てくるくらい楽に車を操っている人には勝てないでしょう。


鼻唄は出てこなくても、少し呼吸に意識をむけて生活すると各場面でのアウトプットが変わりそうです。