フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

感覚を共有できないと溝は更に広がる!?

「これ美味しいから食べてみて」と渡された/勧められたものを食べて
それに対する私の反応が「これ美味しいの(そうでもないけれど)?」
というものだとすると、相手と私の距離が少し広がります。


相手にしたら「これが分からないんだ…!?」だし
私は「これのどこが美味しいのかな?」だとすると
まるで上がったばかりの幕がドサっと下りるような感じです。
これでは、距離が広がるのも無理ありません。


味覚などの感覚的なものは言葉で説明しにくいものです。
ですから、似た感覚を持つもの同士は多くを語らなくても
「わかるわかる!」と互いに頷き合っています。


相手が何を「美味しい」「きれい」etcと言っているのか
言葉にしてもらい、それをきっかけに
「ああ、これを美味しいといってるんだ」
「そういう旨みが含まれているらしい、どこにあったんだろ?」
と振り返ることもできます。そうすることで
相手がいうところの美味しさの存在を知ったり
自分はそれを美味しいとは感じないと気づいたりできます。


でも、相手が言葉で表現したことにも、「???」と反応したら
ますます距離は大きく広がってしまいます。
感覚をシェアすることは簡単ではありません。
でも、そうした感覚から相手を推し量ることもできます。


相手が感動/感激したことをシェアしてくれる時
こちらの感覚を(相手からも・自分からも)試されます。
シェアをきっかけに自分の感覚が広がったり深まったりします。
どう展開するかは、なかなか興味深いものです。