フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

人生が変わる私が変わる


本を読んで
映画を見て
人に出会って
ある場所へ行って
ある状況に出遭って

人生が変わりました


これまで何度か目にしたり聞いたりしてきたこの言葉。
これまで「そういうこともあるだろうな」と思ってきました。
人(他人)にも、自分にも起こり得ることだろうな、と、


今朝、同じ言葉を耳にして
「これから先、私自身に起こるかな?起こらないんじゃない?」
(可能性ゼロとは言わないけれど)
と思いました。


私がイメージしたのは
線路が変わったかもしれない
乗っている電車が変わったかもしれない
まわりの乗客が変わったかもしれない
でも、乗っている私自身は変わってない…


自分が変わってきたと自覚していたわけではありませんが
「たぶん変わってきてるよね」となんとなく思っていました。
「少しずつ変わってきたよね」とも思っていました。


これがどうやら違うのではないか?
変わってきたのは乗り物だったり、持ち物や服装で
パーツ交換ができない私自身は変わっていないんじゃないか?


もし、生まれた時からずっと撮影しているフィルムを
早送りで見ることが出来たら、体重や身長、皺の数が変わっていても
反応や行動は「繰り返している」ことがはっきりするかもしれません。