フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

言語化不要論



ここ1か月の間、生活の中で
大小ではない「小&小」な気づきや発見が日々あります。


「小&小」な気づきというのは
  ・ガラス鍋2枚の直径の違いに気づいた
  ・浴室床のピンク汚れを見つけやすくなった
といったことから
  ・身体(体調)次第か…私の性格は…
  ・あれもこれもと欲張ると私の頭は混乱するらしい…
といったことまで様々です。


気づきや発見があるたびに
何に気づいたのか自分なりに言語化していました。
でも「小」があまりにも続くからでしょうか
私の頭は、言語化することを面倒がり始めたようです。


  言語化しなくていいや〜♪
  わかったんだし♪
  ね、わかってるよね??


頭が「わかってるよね?」と問いかけた先からは
たぶん、大丈夫」と返事がかえってきます。


何が「大丈夫」なのでしょう?


脳内のやりとりに耳を傾けていると
「気づいたこと(発見)を言葉にしなくても
行動で表せる(活かせる)から大丈夫」ということらしい。


何か新しい回路が生まれたようです。


本当に大丈夫なのかな〜?