フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

憶えるより見つけるが愉し



いつからかなぁ、暗記がメインになったのは。
自分で発見したことより、暗記の方に比重がいくようになったのは。


小学校入学したての頃は、「憶える」「暗記する」という概念が
私の頭の中に存在しなかったような気がします。


「昨日あったことをかいてみましょう」と
自分の記憶を元に、お絵かきすることはありましたが、
それは自分の中にあるし、自分が体験したことです。
それが、漢字をおぼえ、九九をおぼえ…と自分の外にある
体験するわけでもないことを憶えていく。
そして、憶えたかどうかを試される。


自分の頭と身体で発見するよりも、憶えることの方が
どんどん重視され、量も増えていく。


自分で見つけていないから、時間が経つと
学校で習ったこと(憶えたこと)は頭から抜け落ちています。
しかもボロボロボロボロとなくなっていきます。
「アタマわるい」としか言いようがありませんが
なくなっていく記憶(学校で習ったこと)よりも
そこにかけた時間をもったいなく思います。


動きのお手本がないフェルデンクライスのATM*1では、
「真似る」も「習う」も「憶える」もありません。
小学校へ上がるずっと前から親しんだ【遊び】に似ているようです。
感じて、実際やってみて、上手くいかなかったら考えて、また試して…
憶えなくていいけれど、感じ&考えをグルグル回します。
こちらの方がずっと愉しい。

*1:ATM
フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンのこと。
現金自動受け払い機ではありません。
Awareness Through Movementの略です。