フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

聞くのも話すのも大切


無口で世間話なんてしないと思っていた人が
ぽつぽつ自ら話し始める様子に
映画の一場面を見ているような錯覚を起こすことがあります。


その人を目の前にしているのに
「向こう」と「こちら」で透明な何かに隔てられている。
声は普段通り聞こえてくるけれど
スクリーンを通して見ているような、そんな感覚です。


時には「うわ〜、話せるんだ〜」と
口をきくはずのない動物が話し始めたように驚くこともあります。


人の話に耳を傾けてくれる人だけれど
その人自身の周りで起こった出来事や感じたこと思ったことなどを
話さなければ、その人に対し立体感が欠ける印象を持つのだな…と
気がつきます。


自分の話ばかりをして、他人の話を聞かない人も
似ているのかもしれません。立体感が少ない。
東映太秦映画村の江戸・日本橋セットのように
「(撮影される)部分しか作られていない」。


自分自身が、薄ひらべったい人間になっていないか?
立体的な膨らみを持っていたいものです。