フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

過ぎたるは…

12月14日(日)が投票日の衆議院選挙。
公約が載るチラシが家のポストに入り
選挙カーが街を走ります。
新聞にも広告が載っています。


衆議院比例某ブロック新聞広告」とあり
比例代表は何々党へ」と書いてあります。


これか選挙関係の新聞広告だと理解する前に
目が行ったのは顔写真です。
TVや新聞写真でよく見るお顔なのですが
一瞬の間があって「ああ、あの人か」。(Aさんとします)


この時も、まだ選挙広告だと気がつきません。


隣にもう一人顔写真が載っています。
(Bさんとします)
見慣れないお顔に「この人、誰なんだろ?」
「Aさんとどういう関係なのかな?」と思い
ここでようやくBさんの隣に書いてある
比例代表は何々党へ」の一文を読んで
衆議院選挙関係か〜」
「Aさんと並んで写っているということは、“多分”誰々さんということかな」となりました。


ここで面白いのが、私はこの人物特定にまだ自信がなく、顔写真の下に小さく書かれた名前を見て、ようやく納得した点です。


BさんはAさんほどでないにしても
動く姿をTV画面で、写真は新聞記事で
それぞれ何度も見ています。


名前が思い出せなくても、顔写真を見たら
その方を知っているか知らないか判断できそうなものです。
まして選挙のための新聞広告です。
一目見て誰か分からないのは、どうなっているのでしょう?


そういえばAさんも少し雰囲気が違っています。
お二人共に「のっぺり」した顔写真なのです。
「のっぺらぼう」と言ってもいいかもしれません。
本来お二人が持っていらっしゃる雰囲気が
きれいに消されたような写真です。
更に言うなら「ゴムマスクのような顔」です。


たとえよく目にしている顔で
その言動に関心を持っている人物であっても
このような写真になたってしまうと、
誰なのか脳は認識しにくいようです。
だって「のっぺらぼう」なのですから。


皺を減らす、
口角を上げる、
目元をやわらかくする
etc…
その人らしさを消してしまうほどに修正してはいけません。

過ぎたるは及ばざるがごとし。


(但し、その人らしさを薄めることで、支持を広めるのが目的なら成功している新聞広告です)