フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

いくつになっても


両親が出かけている間に!と実家の掃除をしながら
妙にはっきり気がついたこと。


部屋の隅のホコリやお風呂場の水垢etc…が気になるからでなく
結局「親にほめられたいから」「喜んでもらいたいから」
掃除をしているんだな、と。
だから、帰宅した彼らが気づかないでいると
「掃除したよ」とアピールしています。


部屋や台所が小ぎれいになったことを
私自身が自覚しているのですから、それで十分のはず。
でも、私の気持ちは違うようです。


張り切ってしたことには気づいてもらえず
「ついでに」「軽く」したことの方を喜んでもらえたり感謝されたり
こちらの思いと、結果はなかなか上手くつながりません。


ステンレス製のヤカンをピカピカにしよう♪と磨きながら
「これをしておいたら褒められるかな」「喜ばれるかな」と
想像している「小さな私(子どもの私)」を
今の自分の中に見出しています。


こんなに大人になっても、
私の中に「小さな私」がしっかり存在すること
「小さな私」が今の私を動かす場合があることに
驚き、ほほえましく思い、苦笑いも出てきて
少〜し複雑です。