フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

悪意があってもなくても雑音は要らない

 私が子どものころから人に言われ続けてきたことを、ざっと並べると……。
 「口ごたえをするな」「女のくせに勝気だ」「気が弱い」「努力が足りない」「根性がない」(中略)……。きりがありません。
 こういった悪意のある雑音を、私は病を引き起こすウィルスのようにたちが悪い「呪いの言葉」だとおもっています。そのときはがんばって乗り越えることができても、水痘ウィルスのように身体に潜伏していて、免疫力が落ちるやいなや再活性化し、帯状疱疹のような激しさで心を襲うのです。
 「あのとき言われたように、私は根気がなくて、気が弱くて、努力が足りないんだ……」
 一生懸命努力しても成果が得られないようなときには、そうやって自分を疑うようになります。自分を疑っているかぎりは、何をしてもうまくいきません。そうして「呪いの言葉」が現実になってしまうのです。
「どうせなら、楽しく生きよう」49-50頁
(渡辺由佳里/著、飛鳥新社/刊)
どうせなら、楽しく生きよう

著者の渡辺由佳里さんが書いていらっしゃる
子どものころから人に言われ続けてきたこと」で並ぶ言葉の数々を
自分自身はほとんど言われたことがないのに
読んでいて「キツイな」と感じていました。
引用するためにキーボードでタイプすると、今度は
読んでいる時以上に苦痛をおぼえたので「中略」となりました。


そんな私でも、自分で自分にかけた「呪いの言葉」があったりします。
もしかすると直接言われたことはなくても
相手の態度などから無言の「呪い」があって
それが自作の「呪いの言葉」に変身しているかもしれませんが。


ただ、自作であればウィルス感染と違い
「なかったこと」にできそうです。
自分の勘違いを自分で解けばいいのですから。


それがなかなか難しいのです。