フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

発見してニコリ


毎日とはいわないけれど、いろいろな小さな発見があったのは
何歳頃までだっただろう?


発見して、一人でニコっとするだけだったり
(まだ言語化できない)
何を発見したのか頭の中で整理していたり
(人に伝えられるほどのまとまりはない)


発見を親やお友達に伝えることを
していなかった(できなかった)ように記憶しています。
(実は、嬉しそうに話していたかもしれませんが)
一人でそれを楽しんでいたような気がするのです。


そうした小さな自分だけの嬉しさは
授業で学ぶ楽しさとは違う種類のものです。
やがて「一人発見」の楽しさは
小学校中学年くらいから少しずつ失っていったように思います。
学校で学ぶことが増えたからかもしれません。


不思議なもので、遊びの感覚があった出来事の中では
学校の中でも「発見」はあったのです。
クラスメイトとわいわいキャーキャーとアイデアを出し準備した
体育祭や文化祭などの場面です。


社会人になってからは「発見」から更に遠ざかりました。
一人でニコっとする楽しい発見があった記憶がありません。


今、TVを持たない、人や車が多くない環境で生活する中で
「発見」の感覚が少しずつ戻ってきているように感じます。
子ども時代の「発見」は、どれも自分の身体や動きを通して、
つまり「遊び」の中で得ていたのでは?と考えています。
大人でも競争や努力、義務感と関係のない
マイペースで進める身体を使った遊びがあれば
再びいろいろな発見があるのかもしれません。


急がなければ義務感からでなければ、
家事だって遊びになりそうです。