フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

過ぎてから気がつく

過ぎたるは猶及ばざるが如し
「過ぎる」と「及ばない」と同程度ではなく、
それ以上のヨロシクないことになるなぁ…と最近思います。
「及ばない」ところで止めていた方がまだ良かったかも、と。


  食べ過ぎ
  動き過ぎ
  はしゃぎ過ぎ
  考え過ぎ
  熱中し過ぎ
  しゃべり過ぎ
  ……


特に「調子いいかも♪」という思い込みの「過ぎる」が曲者です。
「なんだか調子いいな♪」
「サクサク物事が進む☆」
なんて思っている時、既に「過ぎる」を通過しかかっているのです。
本人は「気分が乗っている!」と思っているので
アクセルを踏み続けます。すると…


そう遠くない未来に、「及ばない」がやってくるのです。
しかも「なんか足りないよね」ではない中身のものが。
直線的でない3D的「一歩進んで二歩下がる」になってしまいます。
エッシャーのだまし絵に足を入れたような感覚です。


頭の片隅からかすかな警告音が聞こえていたのに
「気のせいだろう」と片付けてしまうから、こうなります。


でもね、前へ前へ上へ上へと行きたがる(昇りたがる)「気」の
手綱を取るのはなかなか大変です。