フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自分は何を感じているのか/いたのか

今、自分は何をしているのか(しようとしているのか)は
どれも身体の動きを伴います。


  見よう顔を向けたり
  持ってみようと手を伸ばしたり
  ひとこと言おうと口を開けたり
  その場から離れたり
  ……


外に表れるので他人から見ればよくわかるけれど
本人は「何をしているのか」に注意はあまり向けていません。
それでも、「動き」には意識を向けやすく
複雑すぎたり速すぎたりしなければまだ捉まえられます。


ところが「自分は何を感じているのか?」となると
動きほど簡単ではありません。
喜怒哀楽恐驚快不快不安etc、わかりやすい時もあります。
中には、いろいろなことが絡まっていて
「ナンダカ…ナ…」と感じても、ほんやりし過ぎて
小さすぎて、理解できなくて…本体が見えないこともしばしば。


「ナンダカ…ナ…」の正体をはっきりさせておくに
こしたことはないな〜と思います。
今現在だけでなく、過去の「ナンダカ…ナ…」も合わせて。