余白が大切
「今、自分は何をしているか?」を観ながら動く…
といった内容のことを先日書きました。
その気づきが面白かったので、引き続き考えながら生活しています。
…とはいっても、そうした視点を持ちながら動けるのは
頭と身体にまだ余裕がある朝の何時間かだけなのですが。
(この時間を伸ばしていくにはどうしたらいいかな?も考え始めています)
「今、自分は何をしているのか?」を観て
「その行動(動き)は、機能的なのか?」を確かめ
「そもそも私がしたいこと(意図)に沿った行動なのか?」や
「もっと機能的/合理的な行動は他にないのか?」を考えながら
進めていくといいのかも、と今日までのところ思い至っています。
日常生活の中の動きは、しっかり習慣化していて
自動的に進むようになっています。
「次どうするんだっけ?」「これでいいかな?」なんて考えていません。
人との会話や目の前で展開する事柄に対しても
自分の受け答えや反応はある程度パターン化しています。
過去の場面や記憶の影響もあって
「この人とどういう関係を築きたいのかな?」
「もっと伝わる言葉はないかな?」等なかなか考えられません。
よく考えずに反射的に行動している…毎日なのです。
でも「今、自分は何をしているのか?」と観ることができる
動きと時間に“隙間”や“余白”を持つことができたら
反射的な行動・反応は少しの間、大人しくなります。
それらが大人しくなっている間に、
考える→試す→観るのサイクルを回すことができたら、
習慣も無意識の行動も癖も改善できそうです。
脳にも身体にも余白が大切。