フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

重さは私の外に在る

自分の子ども時代のことや
夜9時前後の電車の中や駅改札口を通る子どもの姿を
思い出しながら読みました。
息子の将来、だいじょうぶ?〜教育オンチが考える
細川貂々/著、平凡社/刊)
息子の将来、だいじょうぶ? 教育オンチが考える

人間は仕組みを理解することで物事を覚えていく。
(中略)
逆に仕組みを見いださないとわからないのは
人間のすごくナチュラルな性質だと思う
(中略)
自分の世界観の中に入っている仕組みは覚えられる
でも自分の世界の外の仕組みは覚えられない
(中略)
仕組みのわかり方はひとりひとりちがうので
その辺がむずかしいのだと思う!
(中略)
回路がいつになったらつながるのかというのは
個人差が大きい
「息子の将来、だいじょうぶ?」P127〜129より

上は「東ロボ君」の新井紀子さんの言葉です。
中略ばかりで何のコトかわからん!という方は
本を手に取って読んでみてくださいね。


私がどうにも覚えられないことがいくつかあります。
それは子供時代からずっと持ち続けています。
その一つが「重さ」。


何か作業をするにも、物を動かすにも
フェルデンクライスのレッスンでも
「自分の体重をつかって」「自分の重みをかけて」
「重さを使えば、もっと簡単にできる」
父から、友人から、先生から何度も聞いて(言われて)きました。


これがさっぱりわからない。
わからないから「力を入れる」になってしまう。
体重を使っていない私の様子を見た人は
「そうじゃなくて、体重を使うの!」と重ねて口にする。
(でもね、それじゃあ全然わかんないの)


上の一文(ページ)を読んで、
長年付き合ってきたこのわからなさに少し納得。
仕組みをつかんでいないから、わからないし使えない。


「重さ」にまつわる仕組みが「自分の外にある」のでは?
スッポリ抜け落ちている?といったような感覚を
ぼんやりと抱きながらきたのですが…。


重さと私、重さと私の身体
このつながりをなんとかつけようと
細〜く弱〜い頼りな〜い線をあちらこちらから生やして伸ばして
……今も回路は未接続。


いつか回路がつながるかなぁ〜〜〜?