フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

身体との「対話」から「探検」へ

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンを受けていると
「身体と対話する」というより「身体を探検する」という
イメージの方が最近は強くなっています。


以前は「対話型」だったので
  ふ〜ん、ここまで動くのはイヤなんだ
  なるほど、本当は無理があるのね
  この動きだとご機嫌になるんだ
  etc
といったように、身体は言葉を発しないけれど
あ〜だこ〜だとお喋りしていたと感じています。


最近は「探検型」。
私の方からも言葉が出てきていません。
身体は静かにそこに在って、身体のどこか小さな入口から入って
小さく静かに少しずつ先へ奥へと進んでいくような感覚です。
言葉を介さずに何をしているのか?
じっと見ている、静かに観ています。


身体を変えるのでなく、私の方を変えていく


探検していると思うのです。
私から身体に対して期待や要求、欲望、要望、希望があっても
それが身体の鍵穴に合わなければ聴いてもらえないんだな、と。


身体が主で、私(頭)が従