フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

過ぎたるは…ちがいを見失う

  一生懸命すぎても
  必死になり過ぎても
  忙しすぎても
  急ぎ過ぎても
  苛立ちすぎても
  落ちこみ過ぎても
  動きすぎても
  食べ過ぎても
  音が大きすぎても
  香りが強過ぎても
  ……


いろいろな「過ぎる」が私の中や周りにあると
いろいろな「ちがい」を感じることが難しくなります。

はっきりしない、あいまい、ささやか、小さい
何よりよくわからない…
でもそこから何かが見えてくるかもしれない「ちがい」。


子どもの頃、ドアや石塀の隙間、土塀にあいた穴を通して
覗き見た世界が新鮮で新しい発見があったように
「ちがい」も新しい視点を得られる隙間や穴なのかもしれません。