フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

自分の身体・人生に関係のある学び

昨年4月のFPTP京都(京都フェルデンクライス指導者養成コース)開講後、
各セグメントで、Study Groupの自主勉強会で、そして日常生活でも
フェルデンクライス・メソッドを通して色々なことを学んでいる。
学校での授業や受験勉強とは違い、

  • 自転車に乗れるようになる
  • 泳げるようになる
  • 逆上がりができるようになる
  • 外国語の発音ができるようになる

といった種類の学びだと感じている。


学生時代、正解や結論を記憶するだけで、定期試験・受験をやり過ごしてきたのだろう。
フェルデンクライス・メソッドを学ぶにつれ漠然とした不安が生まれ始めている。
考え方を学ばないできたから、何も残っていない、
何も学んでこなかったのでは?という不安だ。「時間を無駄にしたのでは」という不安もある。
学生時代何していたのだろう?(特に中学高校時代)
クラブ活動や文化祭・体育祭の記憶はある。授業の記憶は?先生方の印象深い一言は?

FPTP京都に参加してから、私の中で混乱がポツポツプツプツと生まれている。


Learn to learn. (学び方を学ぶ)というフェルデンクライス・メソッド


年齢は重ねてきたけれど、
何も学んでいない、きちんと考えていない自分が現れてきているようで、とても怖い。
今の私は、外見は年相応でも、中身は幼稚園・小学校低中学年時分より劣っている気がしてならない。
子供時分の私の方が学ぶ姿勢・態度はずっと優れていたと思う。
年をとっただけで、実は脳にも身体にも何の智慧もついていないのでは?これは恐怖である。
バージョンアップしていない私。
生活や人生、身体等々の智慧をつけないまま年老いていくなんて、皺・シミが増える以上に怖い。


フェルデンクライス・メソッドATM(Awareness Through Movement)
身体を動かすことが気持ち良く楽しかった入り口から、今は混乱の入り口に立っている。
ただ、自転車に乗れるようになるには、自分の身体で何かをつかまないと仕方ないのと同じで、
今感じている混乱も、自分の心と身体で何かをつかむことができれば変わっていくのだろう。