フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

フェルデンクライスを気に入った理由 (3/3)

フェルデンクライス・メソッドの何を私は気に入ったのか?(ATMレッスンを受けて)

  • お手本がない
  • 自分のペースで進められる
  • 「○○しなければならない」「△△であるべき」がない
  • 頑張らなくてよい
  • 単調な繰り返しがない
  • 筋肉強化のための動きではない
  • 単調な繰り返しがない 
  • 筋肉強化のための動きではない

そもそもATMレッスンはあるポーズや動きを習得するためのものではない。レッスンの終盤のまとまった動きも、日常の動作からはかけ離れている。毎日繰り返しても筋トレなるような種類のものでもない。
Awareness Through Movement という名前の通り「動きを通しての気づき」のレッスンなのである。
この「気づき」がおもしろい。今の私には、レッスン中に感じたこと・気づきを言語化できない。なんだかおもしろい。よくわからないけれどおもしろい。そればかりである。
もし言葉にできても、その「気づき」は他人にとってどうでもいい内容に過ぎないだろう。小さい子供が、大人から見たら「???」と思える物を大切にしていることや、「???」と感じる動きを大喜びで繰り返していることと大差ないと思うからだ。


このメソッドの創始者モーシェ・フェルデンクライスが重視したことは“Awareness”であって”Movement”ではない。レッスンを通じ、何を感じ、気づき、そして学ぶか。感じないところに気づきはなく、気づきがないところに学びはなく、そして学びがないところに変化はない。
自分で見つけた「気づき(発見)」だけが、自分の学びへとつながるのだと思う。
何より、「気づきは楽しい」ことが「学び」のなのだと思う。