フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「戸惑い」転じて福となせるか!?

禍を転じて福となす
身に降りかかった災難をうまく活用して、かえってしあわせになるように取りはからう。
禍も三年
禍でも、時がたてば幸いの種となることがある。
(以上、「広辞苑」より)


これを、今の私向けに勝手な解釈をすると…

  • 禍を転じて…

自分の身から出た「混乱や戸惑い」をうまく活用して、少しは賢くなるように取りはからってみる。

  • 禍も三年

今の「混乱や戸惑い」も、あと3年学び続ければ、幸いの種となることがあるかも。
(以上、今の私用)

幸い、今回の「こんなはずじゃなかったのに」「こんなつもりじゃなかったのに」はみんな、自分内部のこと。他人との関係性や周りの環境から生じているものじゃない。自分内部のことなら、24時間、毎日、いつでもどこでも自分とやりとりできる。
混乱も戸惑いも違和感も全て、考えるきっかけ、となる。普段、外にばかり目が向き、反応・行動している私の内部を見つめる取っ掛かりになる。


ATMレッスンでは、動きを通して自分の体を見つめる。フェルデンクライス・プラクティショナー養成コースに身を置いて、メソッドに触れ、より深く学ぶ機会を得た。と同時に、自分の物の見方・考え方・感じ方まで見つめることになろうとは1年前には想像もしなかった。これはプラクティショナーになることよりハードかもしれない。ただ、心や脳だけに焦点を当てていない(「動き」を通す=体が関係する)フェルデンクライス・メソッドには、安心感がある。
安井武さん(フェルデンクライス研究会主宰)が
フェルデンクライス・メソッドは『動く禅』ともいわれます」
とおっしゃった通りかもしれない。