フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

ATM一人でできるもん

フェルデンクライス・メソッドのATM(Awareness Through Movement)レッスンは「動き」「動くこと」が目的ではない。“Awareness”(気づき)を得ることを目的に動く。だから、お手本も見本も示されない。
目の前に「お手本」「見本」「例」があり、それに倣って学習していくことが当り前のように生きてきた私にとって当初「!?」(=「じゃあ、どうすればいいの!?」)だった。と同時に、「♪♪」(=「それって、気楽で、楽しそう♪♪」)でもあった。


「目を閉じて動いてみて下さい」のアドバイスで、目を閉じ、動きの指示を聞くことに集中していると、自分なりの動きを楽しめることに、すぐ気づいた。
インストラクターの動きを真似る必要がなく、周りの人と自分の動きの差に恥ずかしい思いをすることもない。子供の頃、周りの目を気にすることなく遊びに夢中になっていたことに似ている。だから、「楽しい」し「気楽」なのだ。
目を閉じて、自分の動き・体の感覚に注意を向けるだけ。それだけで、なんとなく楽しくなる。
この「楽しい」感じは、わくわく・どきどき・きゃーきゃー、といった種類のものではない。まだ寝返りも「はいはい」もできない赤ちゃんが、寝かされたままの態勢で、手足をぱたぱた動かしたり、自分の足を持ったり、自分の手を口にもって行ったり……ひとり遊びしている時の「楽しそうな」感じに似ている。誰かと遊ぶ・おもちゃで遊ぶことで楽しい、のでない。ひとりで、自分の体だけで十分楽しい・楽しめる。そして何より飽きない。静かな内なる楽しさなのだ。

ATMは、インストラクターや指導者がいないと(=お手本がないと)できない、というレッスンではない。

  • 自分の動きはどこから生まれるのか?
  • 動きはどこへ伝わっていくのか?
  • 呼吸はどうなっているのか?
  • ……

自分の体を丁寧に感じて動き続ければいいから、決まったポーズ・一連の動きはない。ATMレッスンに参加することで得られる「気づき」は確かに深く多い。でも、ひとりでも「気づき」は得られる。私がフェルデンクライス・メソッドを気に入った大きな理由のひとつが、これである。
ひとりでできるもん。