フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

浅い呼吸(2/2)

FPTP京都第3セグメント(’08.01.02〜15)後、しばらく「柔らかいお腹」でいられたと思う。柔らかい、といっても脱力しているのではない。弾力のある、つきたてのお餅のような柔らかさ。(実際の私のお腹が「お餅」様の柔らかさであったかは怪しい…)常時柔らかかったわけではない。でも、うまく意識すると柔らかくできた。
柔らかいお腹を持つと、気持ちにゆとりができる。考えも柔軟になる。カリカリすることが少なくなるし、「白黒はっきりしないとイヤ!」ともならない。
それが今は、硬いお腹を持って、キリキリカリカリ、心身共にゆとりがない。
「タマゴが先か?ニワトリが先か?」の問いではないが、お腹が硬いから呼吸が浅くなったのか?呼吸が浅いからお腹が硬くなったのか?いやいや、他に何かあるのか?そんなことを考えている間にATMをした方が有効なのだが。


FIFunctional Integration:機能的統合)についての講義で、何度も「クライアントの呼吸をよく観て」と聞いた。FIレッスンを行う時のクライアントの身体を観る指標のひとつが「呼吸」なのだ。(ATMレッスン時にも、動きながら自分の呼吸を観察するよう指導される。「息を止めていませんか?」「普通の息をしながら動き続けるにはどうすればいいですか?」)
浅い呼吸をしている自分に気づいたこと(「浅い呼吸」「浅くないの呼吸」の区別ができた)と、FPTP京都で繰り返し聞く「呼吸」の話から、今の私の状態に興味がある。興味があるから、観察しては考えている。


今回おもしろいのは、「ため息」をつく回数が本当に少ないこと。これまで、仕事しながら、家事をしながら、散歩しながら……何度も大きな・小さなため息をついてきた。今思うと、浅い呼吸を解消するために「ため息」をついていたのだろう。ため息が出ないせいなのか、おもしろいことが現れている。

  • 腹部の筋肉痛(特に季肋部)
  • 音に敏感
  • 驚きやすい(必要以上にビクビクしがち)

これらは「ため息」で「浅い呼吸」を解消していないために起こっているのだろうか。ため息をつかないで、しょっちゅう「息を止めて」いるからなのか?
呼吸の内容次第で、気持ちも身体にも変化が現れる。
その逆もありえるだろう。気持ちの内容(感情面)や、身体の内容(快・不快、痛み・違和感、心地よさ)次第で、呼吸に変化が現れる。
局地的でも一方通行でもない。あちらこちらに関係しているから複雑だし、問題や悩みにもなるし、おもしろくもある。