フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

カラダを通して考える

朝日新聞(朝刊)に連載中のコラム「CM天気図」で、執筆者の天野祐吉さんがパルコの春のキャンペーンCMを紹介されている。(2008年4月1日付)そのCMのコピーが良い、とのこと。

さあ、カラダを使って考えよう。


この記事を読んで、やっぱり、フェルデンクライス・メソッドを思った。

ワークショップ参加やFPTP京都での第1・2セグメントで、私は「考え」なかった。ATMでカラダを動かし・感じ、講義を聞いて「ふーん、そうなんだ」と感心するばかり。そんな私が、「考える」ようになったのは、第3セグメント後。
仕事中も、移動中も、新聞・本を読んでも、映画を観ても、誰かの話を聞いても、etc……フェルデンクライスと絡めて何かしら考えている。しかも、考え続けている!

フェルデンクライス・メソッドでの2つのレッスン:

  • ATMAwareness Through Movement動きを通した気づき
  • FIFunctional Integration機能的統合

では動き(運動)と感覚が関係する。これらのレッスンを経験し、そして講義を受けてきたことで
カラダを使って、カラダを通して考える
ようになってきているのでは?と思っている。


ATMをすることで、カラダを動かし、カラダを感じ、カラダを考え、またカラダを動かし…と「出力→入力→出力→入力……」の輪がグルグル回る。
カラダを動かすことで、筒(ラップの芯の紙筒のようなもの)ができ、その筒を通して(=筒をのぞいて)カラダを観察して、また考える。そんなイメージだ。おもしろいことに、カラダを動かした上で、感覚感度を上げないと「筒」は形にならない。カラダがすばやく激しく動いていても、感覚がお留守だと、いつまでたっても「筒」は完成しない。「筒」がないと観察できないので、その先の「考える」に進まない。また、「筒」は繊細なので、感覚を研ぎ澄まさないと、筒のあちこちに穴ができそこから光が漏れ入って、充分に観察できない。すると、「考え」は途切れがちになる。
この筒のおかげで「考える」回路が作られているのでは?と期待している。