フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

プラクティショナーとクライアント

・ 料理人と食べる人
・ 小説家と読者
・ 医者と患者
・ 政治家と評論家
・ レッスンを行う人とレッスンを受ける人
……
と、人の立場はアウトプットする側とインプットする側に分かれる。そして、その両者の間を行き来する対象(料理・小説・病気・手腕・効果…)に対し

・ おいしい・おいしくない
・ 秀作・駄作
・ 腕がよい・ヤブ
・ 辣腕・無能
・ 動きに改善があった・身体に違和感が残った
……
評価・批評etcが、受け手から出される。

受け手にはいつでもすぐになれる。が、出し手にはそう簡単にはなれない。
「このケーキ、甘さが強いし、スポンジの膨らみも足りないし、いまひとつよね」とどれほど的確に詳細に批評できたとしても、ケーキのひとつでも作れるとは限らない。
言うは易く行うは難し、だ。
介在する対象はいろいろあり、無料だったり有料だったり…そして、両者の間には広くて深い複雑な溝がある。

これまで気楽にワークショップに参加し、レッスンの効果や新しい感覚のひとつひとつに感激していた「受け手=クライアント」だった私。受講料を納めれば、いつでもクライアントになれる立場だった。それが、今、FPTP京都(京都フェルデンクライス指導者養成コース)で、「出し手=プラクティショナー」になるべく学んでいる!!
ラクティショナーとは

  • クライアントの状態に合わせ、
  • レッスンを組み立て、
  • 言葉や手を使い、動きを導く

ことができる人である。

言葉を使って導く】
●● ATM:Awareness Through Movement = 動きを通した気づき
手を使って導く】
●● FI:Functional Integration = 機能的統合

そして2年目を迎えようとしている時に、目の前に溝があることにようやく気づき慌て始めている。