フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

覚えている人、いない人

コンピュータにない脳特有の機能とは、記憶すべきことを「自主的に」「無意識に」判断できること。同じ出来事を共有しても、覚えている人とそうでない人がいるのはそのためです。
そして、その中でも特に大切な記憶は、思い出すたびに編集し、都合よく書き換えるといった「過去を育てられる」ことにあるのです。
(2007年10月28日付 朝日新聞朝刊 広告特集頁から 茂木健一郎氏の基調講演「脳と未来」の記事より)

同じ出来事を共有しても、覚えている人とそうでない人がいる
については、FPTP京都のStudy Groupでの自主勉強会でよく思う。同じ講義、同じATMレッスンを受けているのに、メンバーの記憶はバラバラ。

  • フランク先生(=フランク・ワイルドマン博士)は○○と言っていた。
  • あの日、ATMの動きの指示は△△の次は□□だった。
  • ロビーさん(=ロビー・オフィアー氏)の手は、◎◎(=身体の部位)にあった。
  • ……

互いの記憶が違うというより、記憶している部分が違う、のである。「覚えている人」と「覚えていない人」がいるのだ。
私自身は「覚えていない人」であることが多く、メンバーの話を聞くと自己嫌悪におちいる。(高い授業料払って時間費やして、なにしてるんだろ?)
自主勉強会では、講義の様子を撮影したDVDを教材に使うことがあるが、それを見ても「!? こんなことあった!?」と思う始末。DVDを見ながらメンバーが「この後、○○の練習をしたね?」とまだ映っていないシーンのことを口にするのを聞くと更に落ち込む。

  • 講義中にノートをとっていないから?
  • セグメント後、復習しないから?
  • ATMレッスンを家でしていないから?
  • ……

私が「覚えていない」原因をあれこれと考える。


そんな私の脳でも、「自主的に」「無意識に」判断しながらそれなりに記憶していることが分かる時がある。仕事中、歩いている時、台所に立って包丁を使っている時、…それら動きの感覚に伴ってふっと講義・ATM・FIでのシーンや言葉を思い出すのである。「あの説明はこのことを指していたんだ」「あの動きは、これを導くための前提だったんだ」等々。そして、講義について自分が気づいたことを書き留めているノートを目にすると、関係する場面を思い出せる。(DVDを見ても思い出せないのに!)
そう、他人の記憶・記憶力と比較する必要はないのだ。(とはいっても、気持ちはあせる)