フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

甲野善紀さんの手の動き

昨日聞きに言った神戸女学院でのシンポジウム「身体の言い分」(第3弾「身体性の教育」シンポジウム)で感心したり、なる程と思ったり、色々ありました。
その中でも甲野善紀さんの 

  • 話をされる時の手の動き
  • 「できる自分とできない自分」という言葉

が一番印象に残っています

話をされる時の手の動き

見ていて大変心地よい動きでした。あまり熱心に甲野さんの手を見ていたので、どんなお話をされていたのか記憶がありません。
着物をきていらっしゃいますので、直接見ることができるのは肘から先の動きです。大きな羽を持つ蝶がひらりひらりと、花の間を飛ぶような動きです。見ていて飽きないだけでなく、気持ちよくなるのです。

この冬に受けたロビー・オフィアーさんのFIレッスンの翌日に感じたことに似ています。FIを受けて、私はレッスン当日も翌日も意識も体もぼーっとしていました。自分の腕の長さ分位の空気のような膜に囲まれているので、それが緩衝材のような働きをするのか、周りの出来事を遠くで感じて何日間か過していました。そのボーっとした頭と身体で朝のClass FIを見学していたところ、レッスンを受けている人の体・呼吸が変わると、見ている私の体も反応していることに気づきました。その人の体が変わる方向へ向き始めた時、私の体は何かを気づき、その人の体が変わった時(この時は呼吸が楽になった)、私も楽になったのです。これらのことが意識(頭)より先に、体が反応していることがおもしろく、頭が体の後追いをしているようでした。(体が反応→反応に頭が気づく→頭が意識する→言葉にする)「見て考える」、ではなく「見て感じる」が先行していたのでしょう。

甲野さんがお話される時の手の動きを見ていて、このことを思い出しました。途中からお話を「聞く」ことを止めて、手を「見る」だけにしていたのかもしれません。話を聞こうとすると「頭」が先行してしまうので。蝶が舞うように動く甲野さんの手を見ていると、講演を聞いて解釈するのに固めていたらしい体が少しずつ緩んできました。力みのない、指の関節・手首の関節ひとつひとつの骨が独立している(フェルデンクライス的にいうと「分化している」)動きで、本当にきれいでしたし、見ていて気持ち良かったです。