フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

できる自分とできない自分

6月7日(土)神戸女学院でのシンポジウム「身体の言い分」で、甲野善紀さんの言葉 

「できる自分」と「できない自分」を超えた自分がいると
うまくいく(技がかかる・技を受けられる)ように最近思っています。
( )内は私の補足です


甲野善紀さんのお話にはよく

  • 「この頃気づいたのですが」
  • 「最近考えていることですけれど」
  • 「この前思ったのですが」

という言葉がよく入ります。これまで、甲野さんのお話を聞く機会が3回(今回も含め)ありました。過去の出来事中心でお話が進んでいくのではなく、ごく最近の出来事や考えられたこと気づかれたことを交えて話されるので、おもしろいのです。「そのお話は前にも聞いたなあ」や「あのエピソードは本で読んだなあ」があったとしても少ないように思います。お話が更新されていっているのです。
何かに気づいたけれども、ご自身の中で言葉としてまとまっていない内容のことを、「うまく言えないのですが」から始まり、実際に壇上で動きながら考えながら話されるということがあります。この場合、聞いている私は「よくわからないなあ」となるのですが、甲野さんが何か新しい発見をされたことはとてもよく分かります。(こうしたお話は後日HP上や、著作・対談本等ですっきりまとまって再登場するようです)

「できる自分とできない自分」のお話を聞いていて、思い出した言葉が
フェルデンクライス指導者養成コースで聞いた

I’m not knowing anything.
I know nothing.
という態度で、FIの時、クライアントに接するように
(FI:個人レッスン、機能的統合、Functional Integration

  • レッスンを受けに来たクライアントに対して先入観を持たず決めつけない
  • 自分(プラクティショナー)は相手のことを何も知らない
  • だから相手の態度・言葉・動き等々をよく、そして常に観察しながらレッスンを進める

という態度・姿勢をもつ必要がある、ということだと思います。

このI know nothing.という姿勢・態度を、私はクライアントに対して向けるだけのものだと考えていました。でも、甲野さんのお話を聞いて、クライアントに向けると同時に、自分自身に対しても必要な態度なんだと気づいたのです。。クライアントのことを何も知らないのは当り前にしても、自分のことも実はよく知らないし決めつけることはない、と。
FI練習についていえば、クライアント役の体を自分が想像するように動かせるかもしれないし、動かせないかもしれない、でもそれは分からないんだ、ということになります。
練習で、

  • 思うように自分が動けなかった
  • 相手の体を重く感じて(脚や腕を)持ち上げることに困難を感じた
  • とてもうまくいった

…といった成功・失敗体験を得ます。次の新しい練習内容・相手に対して、それら過去の体験を引きずったまま接すると「苦手だなあ」「簡単かんたん」と思い込みが始まります。相手のことは白紙、でも自分のこと(記憶・体験etc)も白紙の状態でその場にいて進めていくことが大切なのでしょう。
自他に対してI’m not knowing anything.であることが必要なのでしょう。