フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

学ぶための場

クリシュナムルティの本『しなやかに生きるために−若い女性への手紙』から

   学校は、
   教師も生徒も共に外部の世界、知識の世界を探求するだけでなく、
   また彼ら自身の内面に探りを入れ、
   彼ら自身の思考や態度について学ぶための場でもあるのです。
   (序文・?頁)

私自身は残念ながら、学生時代、学校で自身の内面に探りを入れ、自身の思考や態度について学んだことはなく、私の眼は内面には向かず外にばかり向かっていたと思います。


今、フェルデンクライス指導者養成コースを受講し、フェルデンクライス・メソッドを本格的に学ぶ機会を得て、思いがけず「内面に探りを入れる」ということをしています。
養成コースというものは、ATMレッスンをし、FIレッスンを受け、楽しく動いて動きの質を高め、メソッドの知識を得る…時間と費用はかかるけれどその分何かを得る(get)場なのだ、と考えていました。
ところが、2種類のレッスンを受け、コース以外で自主勉強会に参加し、コースの仲間と語り合い…をしていく内にこの考えが変わってきました。何より、私の眼が向く先が変わってきたのです。眼が向く先は、コース開講時に内:外=0:10だったのが、今では内:外=2:8位になっていると感じます。


内面に探りを入れていますが、自身の思考や態度について「学ぶ」までにはまだまだ至っていません。内側をぼんやり見たり、見つめては

  • 「えーっ!? 私そんなことを思っていたのぉー〜!?」
  • 「うそぉ〜! 私そんな風に考えてるの!?」
  • 「信じられない!そんなこと感じてたなんて!」

と驚き、呆れ、騒ぎ、揺れているだけの状態です。自分の眼が内側に少し向いただけでこんなに気持ちが揺れたり、考え込むとは予想外でした。これまでそうした訓練をしてこなかっただけ、といえばそれまでですが。
ただ、私の眼が直接単純に「心」「感情」「思考」へ向いているのではなく、「身体」を通したうえで向いているということが非常におもしろいと考えています。気持ち・心は大いに揺れているものの、「ここに身体があるから大丈夫(たくさん不安になるかもしれないけれど、大丈夫)」と思っているのです。身体を「錨」にして海中に下ろし、意識や思考は海面に浮かんで波に揺られているような感じです。
私にとっては、FPTP京都(フェルデンクライス指導者養成コース)が「学ぶための場」となっているようです。