フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

フェルデンクライスで予想外

フェルデンクライス・メソッドを学ぶため、トレーニングコースのFPTP京都に参加して約1年半が過ぎました。プラクティショナー(指導者)を養成するコースなのですが、私の場合『自分を知る』場でもあるような感じです。
   FPTP京都(フェルデンクライス指導者養成コース)のページ→こちら


メソッドの2種類のレッスンからも、講習期間中も、講習後の仕事・生活場面でも、「えっ!?私ってこういう風に感じてるの?反応してるの?見てるの?」と気づきます。この気づきは予想もしない時と内容でやって来るので、時にはのけぞった後そのまま倒れてしまいそうになります。(今のところ、倒れたまま起き上がれない、ということはありません)
   フェルデンクライスメソッドのレッスンATM(グループレッスン)とFI(個人レッスン)


びっくりするし、ショックだったりもします。
でも他ならぬ自分自身のこと。
それに、『予想外』といっても自分の裡に元々ある何かに気づくだけのこと。


だからなのか、非常に驚いたり、感情的に揺さぶられても、
「やっぱりそうなんだ」と納得する自分がすぐ側にいるのです。
ちょっと面白がっている私もいます。


三角や丸いフラスコ、ビーカー、試験管、シャーレetcに入ったりのっかったりしている自分を、もう一人の私が「この検体どうなるかな?」と観察しているようです。


フェルデンクライスを学んでいて、こういう展開になるとは…
この展開の方がよほど予想外です。