フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

フェルデンクライスと”Learning without will”

仕事の途中に通る児童公園があります。神社の境内・鎮守の森、というと大げさですが木の多い昭和の公園です。なんとも雰囲気が良い公園なので、中で遊ぶ子ども達を見ながら公園のそばを通るのが私は好きです。
多くの公園が、管理が大変なせいか樹木がなく遊具が設置してあるだけですが、ここは公園の周りも中にも樹木が植えられていて、夏も公園の7割程度が日陰になるくらいです。背が高く太めの樹も、ツツジのような花を咲かす木も植えてあり、藤棚もあります。
そして、遊具は鉄棒・ブランコ、すべり台、シーソー、ジャングルジムです。全てシンプルな形の遊具で、曲線といえば、すべり台の降り口だけです。
下はお母さんに連れられた幼稚園の年少さん達から、上は下校途中の制服を着た中学生までがこの公園に来ています。


見ていておもしろいのは、小学校に上がる前の子ども達の動きです。
もう、公園の中のありとあらゆる所へ行き、何かを探し、遊具を試し、動きを試し…しています。
子どもは狭いところ、高いところが好きで、落下・回転が大好きです。
ツツジとフェンスの間、猫くらいしか通らないのでは?と思う場所に、2,3人の子達がうれしそうに「はさまって」いたり、トンネルに見立てているのか、木の根元の空間から通り抜けようとしています。
鉄棒では、前回りに挑戦している2人組がいます。何度も試している内に1人が先に成功。もう1人は成功例を参考にしようと観察してはチャレンジしています。


彼らを見ていると夢中になって動いている時は、互いにあまり言葉を交わしていないのに気づきます。
「ああしたら?」「こうしてみたら?」「そうしたらアカンやん」大人ならすぐに言葉であれこれコミュニケーションとるところを、子どもの場合、互いに観察&行動でどんどん発展・進行させていきます。新しい狭い場所の発見や鉄棒前回りに、「口の達者さ」は役に立たないし楽しくないことをよく知っているのでしょう。
テストがあるから、親や先生が言うから、大人になったら役に立つから、お友達に勝てるから…といったことに一切無縁の学びがあり、うらやましくなります。


「教育」に関心を持っていたというM・フェルデンクライスは、”Learning without will”を考えていたと聞きます。
公園で遊ぶ子ども達を見ていると、好奇心から出発する、好奇心が原動力になっている『学び』を思います。