フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

感覚が触れ合う

おばあちゃんの肩を揉んでいたら
  「指の先に目があるみたいやなあ。ココ!っていうところに指が来るなあ」
と一言。それから少し考えて
  「『(互いの)感覚が触れ合ってる』って感じやな」


肩揉み・肩叩きとは違いますが、フェルデンクライスメソッドのFI(個人レッスン:Functional Integration=機能的統合)を練習する時にこの言葉が当てはまることがあると思います。


FI練習の手順や意図を意識したり、自分がやりにくい姿勢で進めていたり、苦手に感じていたり、何か「思い」を込めたり・・・するとクライアント役とプラクティショナー役の『感覚』と『感覚』の触れ合いが難しくなります。難しくなるというより、出来ない、と言った方がよいかもしれません。

   からだは快くなければ決して学ぶことはなく、受け入れることを拒否します
     (モーシェ・フェルデンクライス)

の通りです。この点でも、身体は賢く明快です。こちら(プラクティショナー役)の感覚が開かないと、『感覚が触れ合う』ことは起こらないのです。
感覚は「評価」や「思い」といった自他の「精神活動」に敏感です。これらが静かになって初めて「感覚が触れ合う」ことになるのだと思います。
感覚が触れ合った時、身体の叡知(wisdom)を感じることができると思います。