フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

フェルデンクライスメソッドを通して自分に向き合う

フェルデンクライスメソッドの2種類のレッスン
  ATMAwareness Through Movement(動きを通した気づき)【グループレッスン】
  FIFunctional Integration(機能的統合)【個人レッスン】
を受けていることで、思いがけず「身体を通した気づき」を得ているようです。


勉強法や仕事術、会話術、時間活用法に物の見方考え方…といった本をこれまで読んできました。読んだ時は「なるほど」と大いに感心するものの、その後が続きません。行動や習慣の変化につながらないのです。そして新しい興味ある本が出版される度に買っては読み「感心して」終わる…を繰り返してきました。また、試してもみない内から「そんなに簡単に実行できたら苦労しないよ」と決めつけたり否定することで、試行錯誤の面倒さから逃げて自分の行動や生活に何の変化も起こさないでいました。

「無理」「できない」と否定し何もしないでいることは一瞬で済みます。それを「とりあえずやってみよう」から始めて行動に移し、途中また考え、工夫や修正し…には時間が必要です。本に書いてあるような効果がすぐに出る保証はありません。お湯を注いで3分待てば、あるいは電子レンジでチンすれば直ぐに食べられるような即席生活にどっぷり浸かっているからでしょうか、生来の根気のなさのせいでしょうか?【待てない私】がいつも傍にいます。


ところが、何度かATMレッスンを受けている時に、ふと【待てない私】が私の動きを邪魔していることに気づき始めます。動きの指示を聞いた【待てない私】が、あちこちの筋肉を『一緒くた』にして動かそうとするために、上手く動けない、筋肉痛になる、呼吸を止めていて息苦しい、イライラする… ATMという変なレッスンを1000種以上も創ったモーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais)が悪いんじゃなくて、私に原因があるんだ!


ここに気づくと、おもしろくなってきます。だって他人のせいにできないのですから。
私の場合、ATMやFIレッスンを通して、自分に向き合うことは今のところ苦痛ではありません。時々、自分のある反応や行動の裏側に気づき、とてもショックを受けることもありますが、それが尾を引かないで「ああそうなんだ」「そうだったんだ」と割と冷静に見ているようです。これは、

  • 自分で身体を動かし(ATMレッスン)
  • ラクティショナーの手で身体を動かされる(FIレッスン)

という『身体を通して』自分を見つめているから動揺が少ないのだと思います。