フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

好きなおかずから食べる?−心理的な反応と身体の関係

食事時、目の前に並ぶおかずをどれも一通り食べないといけないとしたら
  好きな物から食べる
  苦手な(嫌いなもの)から食べる
どちらですか?
私は『苦手なものから食べ始めて、後で好きな物』です。
これがそのまま行動にもあてはまるようです。好きなこと・興味あることを後回しにして、「しなければならないこと」を優先しがちです。


たとえば、気に入った本・興味ある本を買っても、すぐに読み始めないで、さっさと読めばいいのに「楽しみは後で」と机の上・書棚においておきます。そうこうしている内に本をろくに開かないまま時間が過ぎ、気持ちが変わり、興味を持っていたはずのテーマの本も関心が薄れ、読む気が減っています。


似たようなことは、読書以外の行動にも現れます。気に入ったこと、したいことを後回しにする癖が私にあります。後回しにして何をしているのか?というと、嫌なこと苦手とすることを先に片付けようとしているのです。それらを処理していく内に、本来したかったことをする気力がなくなったり関心が薄れたりします。嫌なことはそれなりに片付くものの、なんとなく不満が残るということになります。


「苦手なことを優先した結果、『楽しみ』がなくなる」弊害に気づいているのに、この「苦手なことを先に、楽しみは後で」は私の中に染み付いているらしく、優先順位を逆にしてみようとすると必ずといっていいほど【後ろめたい気持ち】【罪悪感】が起こってきます。


どうしてこういう反応が起こるのか?ずっと疑問でした。
全くささいな個人的な事では、「楽しみ」「好きなこと」「興味」を優先してはいけない理由も、ペナルティがあるのでもありません。優先順位を変えるだけで、苦手なことを放棄するのではないのです。それでも、気持ち上でブレーキがかかります。ショーケースに並ぶケーキを選らぶ時ですら、この反応が出てきます。(一番食べたいケーキを迷いなく選ぶのが難しい)


その理由を先日ふと気づきました。こうした反応は私の小さい頃食事量が少なかったことと関係しているようです。


赤ん坊の頃からあまりミルクを飲まず、食事の量も少ない、すぐに風邪を引く熱を出す私に、元気に育って欲しいと願う母はきちんと食事を摂らそうとしていました。
お膳に並ぶおかずの中から、好きなものを先に食べると容量の小さい私のお腹はすぐにいっぱいになり、後のおかずが食べられなくなります。


少しでも私の身体を丈夫にしたい母の「好き嫌いなく」「しっかり(量を)」食べて欲しいという思いからでしょう、食事時にはよく叱られました。そこで立てた私の戦略が「苦手なおかずから箸をつけ片付ける」です。そうすれば順番を後にした好きな(苦手でない)おかずもみんな食べ切ることができ叱られずにすみそうです。が、そもそも【量を食べることができない】ので、順番を後回しにしたのが大好きなおかずでも、食事が進む(=お腹がふくれる)と口へ運ぶスピードが落ちてきます。こうなると母の顔が険しくなってきます。


後に、丈夫で風邪もひきにくく、何より好き嫌いもなくよく食べる(食べるスピードからして違う)妹が生まれたことで母の意識も変わったのでしょう。出されたおかずをそれなりに偏りなく食べた上で、お腹がいっぱいになって食べられなくなっても、そのことを言葉に出して母に伝えれば叱られなくなりました。


私が気づいたこの【理由】は思い込みかもしれません。
でも、全く的外れでもないと感じます。


フェルデンクライスメソッドを学んでいると、
自分の心理的な反応の元が、自分の身体と関係していること
また身体的な反応が気持ちと関係していること
に突然噴くように気づくので時々非常に驚き慌てます。そして、驚いたものの何かしら腑に落ちるので「なあ〜んだ、そういうことか」と自分の行動を変えるきっかけにもなります。


子供の頃やある時期に立てた戦略(習慣)が今も有効と限りません。
仕事同様、自分の生活も戦略・戦術をこまめに見直すといいのかもしれません。