フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

単純な比較はできないけれど

昨日取り上げた『イッセー尾形の人生コーチング』(森田雄三/監修、朝山実/著、日経BP社/発行)は、『勝間式「利益の方程式」』(勝間和代/著、東洋経済新報社/発行)直後に読んだせいか、内容の落差に頭がクラクラしました。
勝間式「利益の方程式」 ─商売は粉もの屋に学べ!─『勝間式「利益の方程式」』が品数豊富、カラフルな幕の内弁当なら
イッセー尾形の人生コーチングイッセー尾形の人生コーチング』日の丸弁当のようです。蓋を開けて
   「えっ!?梅干し1個だけ?」
   「ごはんがギュっと詰まってないし…」
と戸惑います。

『勝間式「利益の方程式」』幕の内弁当を「あの盛り付け方は参考になるな」「原価どのくらいだろう?」と考えながら美味しく食べて満足した後に、『イッセー尾形の人生コーチング』日の丸弁当。物足りない感じがしました。


ところが、読み終わってみると、幕の内弁当はおかずの内容を思い出せても、味が思い出せません。日の丸弁当はどちらも詳しく思い出せます。あんなに感激感心しながら読んだはずの勝間さんの本なのに、どうしてでしょう?


もしかすると、『イッセー尾形の人生コーチング』にあった

  ワークショップの間に、森田さんがいちばん頻繁に口にしていた言葉があります。
  「間をとってください」
   (『イッセー尾形の人生コーチング』38頁)

  いったい何を話すのだろう。この話はいったいどこへ向かうのだろうか。
  話している本人さえも「わからない」からこそ、聞く人は好奇心いっぱいでいられる。
   (同39頁)

の「」のせいかもしれません。


勝間さんの本は「出し惜しみがなく」「盛りだくさん」で大好きなのですが、「間」が少ない。『イッセー尾形の…』は、本の中で描かれるワークショップの現場は相当濃密なものだっただろうと想像できますが、その様子を描いた文章は「間」だらけ。
だから、記憶や印象の度合いが違うのだと思います。


神田昌典さんの「間」に強く惹きつけられ、あの日の放送内容が強く記憶と印象に残り、その後も考え続けられたのも、「あれ?神田さんはこの後なんと言うんだろう?」と好奇心が起こったからです。

話の「間」と文章の「余白」。どちらも「音」や「文字」といった具体的な“情報”は何も載っていません。でも、大変な情報量を聞き手・読み手の脳に生み出すようです。非常に興味深いことです。