心配しても仕方ない
私の心身にある古い習慣にChange!を突きつけるフェルデンクライス・メソッド。
古くて慣れ親しんだ習慣に面と向かわされている時、
Change!を求めてメソッドを学び始めたのでないのに…
とどこかで思っている私がいます。
だから、ぐらつきもするし、気が重くなるのかもしれません。
(2008.12.21付記事)
とネガティブ調で書いています。
『Change!を突きつける』『面と向かわされている』と受け身(強制されているよう)です。
今、私は風邪気味で体調がパッとしないから、後ろ向きの発想?
ちがうと思います。
フェルデンクライスには、2種類のレッスンがあります。
●ATM : Awareness Through Movement =動きを通した気づき(グループレッスン)
●FI : Functional Integration=機能的統合(個人レッスン)
このどちらを受けても、時に全く予想もしなかった内面の反応が身体によって引き出される/湧き出ることがあります。その反応は、内容も時期も予測不能です。
この予測不能さが、私が戸惑い、気を重くする理由だとと思っています。
レッスンを通した身体の変化と内面の反応に因果関係を見つけることはできません。
内面の反応の雰囲気、現れ方もさまざまです。
【雰囲気】
- ほのぼの
- 安心安全
- 穏やか
- 悲しい
- 怒り
- 驚き
- 漠然
【現れかた】
- ボンっと音を立てて
- 煙のようにすーっと
- 強く結わえていた紐がゆるんだよう
- ホログラムが立ち上がる
- 言葉が直接聞こえる
- 目の前を何かが通りすぎた
いつも私が受け入れられる反応ばかりではありません。「気がつかなかったこと」にしたい場合もあります。また、現れたものに対して、新たに対処する必要も出てきます。(=なかったことにできない)
もうひとつ厄介(?)なのが、こうした反応がレッスンを受けている時だけに起こるのではないことです。化学実験や微生物検査のように、ビーカーやシャーレの中で「反応」が進行し、はじめ容器の中に存在していなかったものが時間がたつと現れた!みたいな感じです。
そうだ!
予測不能なんだから、起こった(現れた)時に初めて対処したらいい
「いつ起こるんだろ?」
「また現れたらどうしょう?」
と事前に心配しても仕方ない、ということです。