フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

ギフトGIFTの中身 −「生物学的楽天主義」という喜び

毎日、授業が終わった後はいつでも、
30分なり1時間なり必要な時間、ここ(=会場)にいます。
皆さん一人ひとり個人として、
私と話をしたい人はどうぞ来てください。


話の内容は何であってもいいです。
質問でも個人的な悩みでも、
ATMの教え方でもいいです。


義務ではありませんから、
「来ないといけませんよ」と言っているわけではありません。
皆さんをご招待します。
一緒に時間をすごして、一対一でお話しましょう。
(2008年12月27日FPTP京都ロビーさんのお話から)

今冬のフェルデンクライス講習会(2008.12.27〜2009.01.08)初日に、
このようにおっしゃってくださったロビー・オフィアーさん(Mr. Robbie Ofir)。
この言葉を聞いて
「もしかすると、ロビーさんが講師として来日されるのは今回が最後なのかもしれない」
と思った私は、講習期間中、彼にできるだけ

  • 質問しよう
  • (ロビーさんの講義やFIレッスンから)気づいたこと・感じたことを伝えよう

としていました。


質問については、

  • 何が分からなくて
  • 何を知りたいのか
  • どう訊ねればいいのか

を言葉化する作業をしている内に、“自問自答”状態になり、
ロビーさんに質問しても、“自答”が合っているかどうかを確認するような感じでした。


『質問』がこういう展開になってしまった後は、
ロビーさんの講義やロビーさんから受けたFIレッスン(個人レッスン)を通して
私が学んだこと、気づいたことを彼に伝えようと必死でした。


ロビーさんに一番伝えたかったこと、それは

     ロビーさんからいただいたGiftの中味 : 「喜び

です。上手く表現できないのですが、私の身体の内側で何だか嬉しくて、その「うれしさ」を何とかロビーさんに伝えようとしていたと思います。


このGiftの不思議さは、互いがGiftを意識(計画・目的・意図)していたのではないこと。
ロビーさんが私に何かを与えようとしたり、気づかせようとしたりしたのでなく、
私自身もロビーさんのお話や手から何かを得ようとしたわけでもありません。
ロビーさんを通して、私の中にあるGiftに気づいたのだと思っています。


私の「喜び」は、ルーシー・アローンさん*1がインタビューの中でおっしゃっている

動きが自立しているという状態と気分には、直接的なつながりがあります。
人が弾むように歩くことができる経験をした時、彼らの身体には、
私が『生物学的楽天主義』と呼ぶ喜びがあるのです。
(2003年冬“フェルデンクライス・ジャーナルNo.15”掲載のインタビュー記事*2]より)

の『生物学的楽天主義』に近いものかもしれません。


この「喜び」は、私にとっての“拠るべき何か”になりそうです。

*1:ルーシー・アローンさん
・Ruthy Alon:“Bones for Life”(ボーンズ・フォー・ライフ)創始者
・モーシェ・フェルデンクライス(Moshe Feldenkrais)から直接教えを受けたメンバーの一人
・ルーシーさんのHP“Bones for Life”→こちら

*2:ルーシー・アローンさんインタビュー記事(“フェルデンクライス・ジャーナルNo.15”掲載)
・2000年10月“Bones for Life”ワークショップ時のインタビュー(インタビュアーはCarol Lingman)
・インタビュー全文(日本語訳)掲載:KATSUさんのサイト『ムーブメント・インテリジェンス Bones for Life』→こちら