フェルデンクライス日記かもしれない

フェルデンクライス・メソッドについて感じたこと考えたことも書いています。

「試す人にもどろう」(フェルデンクライス編)

ちょ〜っと試してみる」から気づきを得られた出来事がありました。
先日受けたフェルデンクライスの個人レッスンでのこと。
レッスンの終わり近く、首を前屈⇔後屈される動きがありました。
(仰向けに寝てまま、顎が天井方向に向いたり喉に近づいたりする動き)


その動きが終わると「あれ?顎が上(天井方向)に向きすぎてる」と感じ
顎を引きたくなりました。


A:な〜んか首のラインが変…首と床の隙間がありすぎ〜。
B:ホント変
C:隙間を減らしちゃえ♪
D:ねえねえ、その状態って「痛い」?
A:痛くないけど〜。
B:なんか気持ち悪いもん
C:そうそう、いつもとちがう!
D:痛くないなら、そのままにしておいてみたら?
A・B・C:え〜!?


という会話があったかどうかは別にして
首のラインに「いつもとちがう…な」という感を持ちながら
「修正」せずにそのままにしていました。
(その間も、カラダ(脳ミソ?)からは「ナンカ変」の声が聞こえてきます)


次にレッスン指導者が私にしたことは
「額に手を当て(私の)頭を左右に転がす」です。


この動きが始まると、カラダ(脳ミソ?)から「え〜!?♪」の大きな声。


A:あれ?いつもより大きく転がる(横へ向ける)!
B:転がされるのラク〜!
C:いつもと違うところが動いてるよ〜!
A・B・C:キャ〜♪♪


さっきまで「ナンカ変…」とブツブツ文句いってた面々が
ワイワイキャ〜キャ〜喜んでいます。


「いつもと違う」を、習慣的な「いつもの状態」に戻さなかったことで
「いつもの状態」が決して快適なそれではなかったんだ、と気づきました。
「いつもの状態」が当たり前だと疑わなかったから
そのままで来たし、そこから外れると即そこへ戻そうとしていました。


今回「ちょっと待てよ」と、いつもの道を行かなかったことで
もっと快適なルートがあることに気がついたのです。
子ども時代なら当たり前のようにしていた「試す」から離れている自分がいます。


私にとってフェルデンクライスのレッスン(グループ/個人)は
「試す」感覚(モード)を思い出す・取り戻す良い場となるようです。


フェルデンクライスのレッスンを通して得る
「理屈抜きにおもしろい&楽しい&愉快」という感覚は
私の何かを解放してくれます。
ちょうど、手足を伸ばせないような小さな箱に入っていたのに
突然バタンと周りの壁が倒れたら、パ〜っと視界が開けたような…
そんな感覚です。(窮屈さから解放された感じ)


HondaのCMじゃないけれど「試す人」に戻ろう、です。