擬態〜そこに隠れている?!
フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンATM*1では
レッスンの始めに「ボディ・スキャンの時間」があることがあります。
このボディ・スキャンでは、指導者の言葉かけの下、身体を動かさずに
その時の自分の身体を感じます。
例えば、
左右の腕の長さや太さ、重さ、軟らかさの違いを感じたり
(仰向けに寝ていたら)斜めに傾いている感覚がないかどうか
床と背中に隙間があるとしたら、それはどこか?
…といったことを感じていきます。
その時「何も変えようとしないで、感じてみてください」と
言われたことがあります。この言葉がずっと気になっていました。
意味がわかっていない、といえるかもしれません。
最近になって気がついたことが
「何も変えずに感じるだけ」をしているつもりだったけれど
実は変えていた、です。
本人は「変えた」つもりはなかったけれど
それは「変えていた」なのだ、と、
ボディ・スキャンをしていると
左右の長さの違いや傾きがあることを感じることがあります。
その違いや傾きを「直す」ことはしないのですが
ボディ・スキャンを通して気づく居心地の悪さを少し変えようと
あれこれしているのです。
例えば、
手足を居心地いいところへ置き直したり、
頭の下に枕を敷いてみたり
脚の開き具合を調整したり
…
こうしたことを止めてみました。
そのままでいると居心地が悪いのだけれど
少しの間、静かに様子を見てみる。
すると、以前なら「頭で考えて」調整していたことが
身体自らが調整し始めるのです。
頭で考えての調整は「動かしやすい」「手近な」ところ(身体の部分)を
動かすのですが、身体自らとなると予想外の部位が動き始めます。
まるで、ナナフシやコノハチョウのように
からだの色や形などを、周囲の物や植物・動物に似せる擬態です。
居心地悪さの元がソコに隠れていたのか!と見えてくるのです。
「何も変えずに感じるだけ」をしていたら見えてくるのです。
「チェッ仕方ない。こちらが動くか」と声が聞こえてきそうです。
ちょっと待つと予想外のところから変わってくる。
待てば海路の日和あり。
*1:ATMAwareness Through Movement 動きを通した気づき、の略