京都ワークショップ初参加時の印象―その2
フェルデンクライス・京都ワークショップへの初参加(2005年春)の印象を
- 脳がくたびれた感じがする
- 体がけだるい
- なんだかわけがわからない
- 子供にもどった気分になる
と挙げた。
●なんだかわけがわからない●
- 動きの予想をさせないATMの構成の巧み
「脳のくたびれ」「体のけだるさ」にもつながるが、要するに混乱しているからわけがわからない、のである。
加えてATM(Awareness Through Movement)を組み立て方がおもしろい。
FPTP京都の講師陣はよく「モーシェ・フェルデンクライス(Moshe・Feldenkrais)の天才的なところだね」とATMの構成を評する。
ATMレッスンの動きの指示ひとつひとつは単純なものばかり。ただ、ジグソーパズルのピースはどれも簡単な同じ形をしているけれど、ピースだけを見ていたら完成図はわからない。それに似ている。指示に従い動きを続けていても、動きの完成図が描けない、先が読めないのである。
- 「結局どういう動きになるの?」
- 「これがどうつながっていくの!?」
- 「この動きが、だからどうなの!?」
- 「こんな体勢とったことない〜」
しかし、なんとかついて動いていくと、突然(!)動きに新展開が起こる。
脳と体が混乱している上に「新展開」「急展開」が加わったら、もう「わけがわからない」しかない。脳のどこかで「???」となりながら、耳は指示を聞き、体を動かし、ATMは進んでいくのである。
●子供にもどった気分になる●
- 「わけのわからなさ」は、子供時代の体の感覚を思い出させる
ATMレッスンで、わけがわからないまま動き進めていくと、レッスン終盤にM・フェルデンクライスが描いた(意図した)動きができるようになる。
ちょうど、ある瞬間を境に自転車に乗れる、逆上がりができるようになった時と似ている。何故そうなったのか分からないけれど「できる」状態が急に現れる。理屈はなく、とにかくできるようになった(新しい自分の出現)のである。
ATMの動きが生活に直接役立つわけでもない。動きの瞬間を写真で切り取ってもヨガや太極拳のように様になるのでもない。(それどころか「???」なものになる)
しかし、大げさだが「新しい自分」が生まれるのは非常にワクワクする。こうした子供時代の楽しかった気分・気持ちを、大人の今、思い出すのでなく、新しく体験できるのがATMである。(だから、顔は自然とニコニコし始める)